聖林寺十一面観音~偉丈夫の仏

捨てられていた十一面観音

聖林寺の十一面観音が辿った数奇な運命はよく知られているのですが(^^;、知らない人は知らないのですから、簡単に紹介しておきます。

聖林寺の本尊は地蔵菩薩です。十一面観音とは全く縁もゆかりもないお寺なのですが、なぜか国宝の十一面観音がおさめられています。
いるはずのない仏がいるというのは、それは別の場所からやってきたと言うことになります。

では、もとはどこにいたのかというと、三輪明神の神宮寺であった大御輪寺です。
この神宮寺というのがわかりにくい存在なのですが、簡単に言えば神社に付属するお寺と考えて間違いはありません。

このあたりが日本という国の不思議なところで、ヨーロッパにたとえてみればギリシャ神殿にキリスト教の教会が付属しているようなものなのです。

さらに驚くのは、日本の場合はお寺の中にも必ずと言っていいほど神社が祀られているのです。(キリスト教の教会にギリシャ神殿が祀られている!!)
これは、一神教のキリスト教やイスラム教では、想像することすら許されないほどの所業なのですが、何故かこの国ではそれがスムーズに解け合っていたのです。

確かに、仏教が伝来したときには受け入れ派の蘇我氏と、それを拒否する物部氏との間で激しい争いになりました。しかし、結果として仏と神はシームレスに混ざり合っていきました。
それを白黒二分法で決着をつけようとしない日本人の民族性に結びつける人もいるのですが、それは少し違うと思います。

聖林寺11面観音 その表情にはどこか厳しさが漂います。

日本人のもっとも奥深くに根を張っているのは、いわゆる「神」等に象徴される「何もの」かです。
その「何もの」かはどれほど異質なものであっても一度は自らの中に受け入れ、そして長い時間をかけて折り合いがつくように変容させていきます。そして、その異質なものが変容しようとしなければ、そこではじめて排除してしまうのです。
神社にお寺が付属し、お寺の中に神社が祀られているのは、まさにその様にして両者が折り合いをつけた結果なのです。

ですから、それは決着をつけようとしない「惰弱の産物」ではなくて、互いが変容しながら共存を図ろうとする「寛容の産物」なのです。
それは、仏の姿の移り変わりを見ても明らかです。

最も早い時期に朝鮮半島から渡来してきた仏の姿は飛鳥仏によくあらわれています。それが、時を経るにつれて白鳳仏、天平仏へと変化していきます。
今回たずねた聖林寺の十一面観音はこの天平仏の末期にあたる様式を身にまとっています。

さらに、都が奈良から京都に移ると、いわゆる貞観仏と言う様式へと変化していきます。
先に訪れた室生寺や法華寺の十一面観音などはこの様式にあてはまります。
天平仏の古典的均衡は失いましたが、逆に私たちの心の柔らかい部分にそっとふれてくる美を獲得しました。

それが、平安後期にはいると平等院阿弥陀仏に代表される定朝様式が完成します。

この定朝様式の阿弥陀仏と初期の飛鳥仏を較べてみれば、どれほど大きく変化したかは一目瞭然です。
この国の根っこにある「何もの」かは、音楽で言えば常にバス声部で鳴り響く通奏低音のような存在です。決して表に出て声高に何かを主張することはないけれども、結局はそのバス声部が社会全体のトーンを決めてしまうのです。

<どうでもいい追記>
学者は言葉にこだわり、白鳳が白雉という元号の別名なので「白鳳仏」と言う言葉は相応しくないといい、飛鳥前期、飛鳥後期と言うべきだと主張します。また、貞観仏と言う言葉も、それが元号の貞観だけに限定されないので相応しくないとも言います。
多くの人に共通理解できているものを、そんな重箱の隅をつつくような事をあげつらって呼称を変えようなどと言うのはつまらぬ話だと思うので、昔ながらに白鳳仏とか貞観仏という言葉を使っていきたいと思います。
<どうでもいい追記終わり>

そんな神と仏の穏やかな共存に波風が立ったのが明治維新に伴う「廃仏毀釈」のムーブメントでした。
そして、そのムーブメントが三輪明神の神宮寺であった大御輪寺にも押し寄せてきて、この十一面観音にまつわる資料は全て焼き払われ、十一面観音もまたお堂の床下に放棄されることになったのです。

この美しさはなかなか写真では伝わりにくい

このように美しい仏を縁の下に放棄できる心の有り様というのは「愚か」という言葉ですら物足りないほどの「愚か」さです。
しかし、その「愚か」さはごく普通の人々の心を動かす力はなかったわけで、それ故に、この十一面観音を「いらないならば貰って帰る」と言って大八車に積み込んで引き取ってくれる人も出てきたわけです。
この「いらないならば貰って帰る」といったのが当時の聖林寺住職であり、その事によって聖林寺の小さなお堂に居場所を定めることになるのです。

そして、この十一面観音の価値を世に知らしめたのがフェノロサという異国の人であった言うのは皮肉な話です。
この捨てられていた十一面観音は今は国宝指定を受けて、立派な観音堂におさめられています。

立ち姿は女性でも精神は男

それにしても、国宝指定を受けている十一面観音は、どれもこれもが驚くほど小さな、そして地方のお寺に祀られています。

少林寺の入り口 本当に小さなお寺です

この聖林寺も本当に小さなお寺ですし、京田辺市の観音寺、藤井寺市の道明寺なども、本当にここに国宝指定を受けている十一面観音がおさめられているのかと不思議に思うほどに小さくて静かなお寺です。
しかし、その様な質素さは十一面観音に相応しい場所なのかもしれません。

観音堂の入り口

そして、そんな十一面観音の中でも、もっとも人知を越えた気高さを感じるのが聖林寺の十一面観音です。
それは、どこか人間的な感性を備えはじめた室生寺や法華寺の十一面観音とは明らかは異なります。

それを一言で言えば「偉丈夫」と言うことになるのでしょうが、その姿の立派さは、これまた写真だけでは伝わりにくいものがあります。その伝わりにくい一番の理由は、その二メートル近い大きさに起因します。
私が訪れたのは暑さ厳しい7月の平日でしたから、十一面観音がおさめられている観音堂には私だけでした。そして、その偉丈夫の十一面観音の前に正座しておよそ30分ほど、たった一人で静かに向き合うことが出来ました。

おそらく、これが奈良の小さなお寺で仏と向き合うことの有り難さでしょう。
同じような小さなお寺でも、京都ではそう言うわけにはいきません。

見れば見るほど美しく立派な仏です。そして、そこには下らぬ人の思念などははねつけてしまう強さがあります。

「甘えるな!!」

それは、室生寺や法華寺の観音とは全く異なる場所に立っています。
しかし、その厳しさには、どこまでも人間の弱さに添いながらも叱咤してくれる優しさが内に秘められています。

どこまでも見捨てることなく厳しく叱咤してくれる観音

それは明らかにどこか母性を感じる観音とは異なる、男の精神が貫かれています。
白洲正子が指摘したように、立ち姿は女性でも精神は男そのものです。

その事が、一人で観音と向き合っていく内に、凡なる私にもはっきりと納得がいくものでした。

やがて、賑やかな話し声と一緒に二人の女性が入ってこられたので、軽く会釈してお堂を出ました。
実に得難い貴重な時でした。

聖林寺から遠く桜井方面を眺める

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