エーリヒ・クライバー/ドヴォルザーク:新世界より/ベルリン国立歌劇場管弦楽団

ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95(B.178)「新世界より」

エーリヒ・クライバー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 1929年録音

エーリヒ・クライバーと言えば直線的でキリリと引き締まった演奏をする人というのが通り相場なのですが、そのお里を探っていくとポルタメントをかけまっくった素敵なまでに前時代的な「美しき青きドナウ」(1923年録音)にたどり着きます。
そして、その転換点が1920年代の終わり頃から30年代の初め頃なのです。

その頃のエーリヒは自分の本拠地であるベルリン国立歌劇場の管弦楽団と、フルトヴェングラーが君臨していたベルリンフィルを相手にして録音活動を行っていました。そして、ベルリンフィルを相手に録音するときの方が時代の流れに即した直線的な造形を採用するようでした。
そんな事を念頭に置いておくと、この録音の立ち位置が見えてきます。

おそらく、エーリヒの本質は前時代的な曲線を多用したロマンチックなものだったのでしょう。
それが気心の知れたベルリン国立歌劇場の管弦楽団が相手だと素直に吐露できたのでしょう。

冒頭の序奏部はチェロの暗い音色で始まるのですが、それが尋常じゃない雰囲気を漂わせています。やがて、それをフルートを軸とした木管が引き継いで、さらに弦楽合奏が受け継ぐのですが、その弦楽合奏の部分で腰が崩れ落ちそうになります。
後はもうやりたい放題で、未だかつて聞いたことのないような新世界の姿が描き出されていきます。

その勢いは第2楽章のラルゴに入っても変わることはなく、それはしみじみと家路を辿る光景とはかけ離れた荒涼たる風景がひろがります。

ところが、何故か第3楽章から直線的に音楽を煽っていく新しいエーリヒの姿が前面に出てくるのです。
その勢いは、最終楽章にはいるとより顕著となり、手兵である歌劇場のオケはそんなエーリヒの棒に必死でしがみついていくのです。

つまりは、ここに新旧二通りのエーリヒの姿がまるで分裂症のように同居しているのです。そして、そのおかしな同居が結果としてどれほど前時代的な演奏よりも破壊的なパワーを持ってしまっているのです。
化石のような古い音源を漁っていて一番嬉しいのは、こういうとんでもなく個性的な演奏に出会ったときですね。