メンゲルベルク/マイアベーア:戴冠式行進曲/ニューヨーク・フィル

マイアベーア:歌劇「預言者」より「戴冠式行進曲」
ウィレム・メンゲルベルク 指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1929年1月14日~16日録音

マイアベーアほどナチスによって「退廃音楽」というレッテルを貼られて攻撃の対象となった音楽家はいません。もちろん、それ以外にもメンデルスゾーンやマーラーなども攻撃の対象となったのですが、マイアベーアへの攻撃はさらに酷かったようです。
そして、そうなってしまう背景には、彼もまたメンデルスゾーンと同じく裕福な銀行家の息子であったことと、さらに言えばナチス推奨のワーグナーによって完膚なきまでに批判されていたという「お墨付き」があったからでしょう。

ただし、そのワーグナーの批判というのは、彼の「反ユダヤ主義」に根ざしたものであり、さらに言えば自らのオペラ上演に対して期待した援助がマイアベーアから受けることが出来なかった恨みによる部分もあったからでした。
しかし、ワグネリアンがクラシック音楽界を席巻していく時代にあって、その批判には絶対的な重みがあったことも事実です。

では、その批判は何処に向けられていたのかと言えば、うわべの効果だけを狙ってオペラ作曲家としての栄光を手に入れたと言うことに尽きるようです。
そして、そのワーグナーが忌み嫌った「うわべだけの効果」とはどういうものかは、この短い行進曲を聴くだけではっきりと聞き取ることが出来ます。メンゲルベルクはそのワーグナーが言うところの「うわべだけの効果」をこの上もなく美しく響かせています。

それはもう見事なもので、惚れ惚れしてしまいます。
そして、こういう美しい音楽はワーグナーの音楽とは異質なものであったことは間違いないのですが、だからといってそれらを全て効果だけを狙った音楽として切り捨てるのはあまりにも偏狭に過ぎます。

結局は、ナチスのユダヤ人音楽家に対する批判というものはこういうワーグナーの論拠をなぞっただけのものであり、マーラーやメンデルスゾーンに対する批判も同じような「うわべの効果だけを狙った底の浅い音楽」という何の根拠もない言いがかりの域を出るものではなかったのです。

しかしながら、そう言う「言いがかり」はナチスが滅びた後も生き残り、60年代に入って漸くマーラーが再評価され、メンデルスゾーンもまた21世紀に入る頃になって少しずつ再評価がされるようになってきました。
しかし、それがマイアベーヤとなると、今もなお、耳あたりはいいけれども底の浅い愚にもつかない音楽をたくさん書いた人という評価はなかなか覆らないのです。

やはり、そこにはワーグナーのお墨付きがあった方でしょうか。
こういうふうにメンゲルベルクによってこの上もなく美し演奏してもらえれば、それだけで素直に好きになれるのですが、音楽を頭で理解しようとする人にとってはそう言う素直さこそが許し難いのかもしれません。