クナッパーツブッシュ/ベートーベン:交響曲第7番/ベルリン国立歌劇場管弦楽団

ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 1929年11月19日録音

クナパーツブッシュの経歴を詳しく調べていると、世上で言われるほどには「白く」はなかったようです。
その一つが、この1929年に引き起こされた「批評家裁判」です。

この裁判のきっかけは、この年の1月に行われたベートーベンの9番に対する批判的な論評でした。その批評を書いたのはオスカー・フォン・パンダーという音楽家兼評論家であり、その内容は「壮大な力のせめぎ合い、迫りくる雷雨のようなものは感じられなかった。」とし、とりわけ最終楽章に対しては「感性的魅力の領域から精神的高貴さへの領域へと高まるような演奏は聞かれなかった」と切って捨てたのです。

そして、この批評に対してクナッパーツブッシュが噛みついたのです。
ただし、その後の経緯を見てみると、このクナパーツブッシュの背後にはナチの影が見え隠れするのです。
何故ならば、この批評を掲載した新聞(ミュンヘン最新報)の社主がユダヤ人であり、その様な新聞をミュンヘンから駆逐するための口実として利用されたからです。

実際バンダーの批評は妥当なものであり、その事を裁判のなかでフルトヴェングラーも証人として出廷して認めているのです。
ベートーベンの音楽というものは「苦悩から歓喜」に至るものであり、それはフルトヴェングラーのような演奏こそが最良のものだというに共通認識があったからです。

そして、その様なベートーベン演奏とは一線を画していたことがこの第7番の録音からははっきりと伺うことが出来るのです。1929年とは信じがたいほどに録音の状態が良好なので、その事ははっきりと聞き取ることが出来ます。
戦後のデフォルメの限りを尽くした演奏を行った人と同一人物だと思えないほどにキッチリとした演奏です。そこには、フルトヴェングラー的なドラマティックな世界を意図的に拒否して、それに変わる新しいベートーベン象を撃ち出そうという意志がはっきりと聞き取ることが出来ます。

ですから、この一連の騒動にクナッパーツブッシュ自身がどこまで関与していたのは不明です。
おそらく、誰かがそっと耳打ちをして彼を焚きつけたというのが実情かも知れません。

しかし、この一連騒動を通じて、ナチスとの間でそれなりの「良好な関係」を結んだことは否定仕様のな事実だったようです。