アドルフ・ブッシュ/ブランデンブルク協奏曲第4番/マルセル・モイーズ

J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調 BWV1049

アドルフ・ブッシュ指揮 (Flute)マルセル・モイーズ,ルイーズ・モイーズ ブッシュ・チェンバー・プレイヤーズ 1935年9月9日~17日録音

この録音で注目すべきはフルートとのマルセル・モイーズでしょう。
モイーズは今もなお、フルート演奏者にとっては「神」のごとき存在です。その功績を一言で表現すれば、「近代フルート奏法」の確立者と言うことでしょう。
生まれてすぐに孤児同然となったり、ナチスのパリ占領に抗議してパリを離れたりと起伏の多い人生を送った人ですが、ここで聞くことができるのは演奏家としてのモイーズの絶頂期の録音です。

ただし、モイーズが不幸だったのは、ブッシュにしてもエーリヒ・クライバーにしても同じなのですが、戦争が終わってみればナチスに対して毅然とした態度を取ったがゆえに故国での立場を失ってしまっていたことです。
モイーズにとってはそれはパリ音楽院における教授職だったのですが、戦争が終わればナチス支配下のパリでモイーズの後釜として教授職に就いていた人物がそのまま居座っていたのです。しかしながら、モイーズにすれば戦争が終わればそんな事は旧に復すると思っていたのですが、現実はそうはならなかったのです。
それは、エーリヒがドイツに復帰したときに、フルトヴェングラー以外の音楽家が冷ややかな態度、もしくはあからさまな敵意を死したこととどこかに通っています。
そんな理不尽に対して抗議したモイーズに対して音楽院が示した妥協策はフルートの教授職を二人体制にしてモイーズを受け容れることだったのですが、それはモイーズのプライドが許しませんでした。

結局、モイーズはそんな戦後のパリとフランスに嫌気がさしてアメリカに移ってしまいます。

ですから、その後も1984年まで長生きしたにもかかわらず戦後の録音はほとんど残っていません。
しかし、その代わりに晩年はチューリッヒの近くの小さな村でマスタークラスを開設して数多くの演奏家を育てました。
その多くの生徒達の話によるととても恐い先生だったようです。