ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36
エーリヒ・クライバー指揮 ベルギー国立管弦楽団 1938年1月録音
エーリヒがナチスとの間で確執が生じたのは1934年のヒンデミット事件なのですが、既にその前年の国会議事堂放火事件あたりからナチスへの警戒感を深めていたようです。
そして、ついにナチス支配下のドイツを去る決意をさせたのは34年11月30日のベルクの「ルル交響曲」初演に対する禁止令だったと言われています。
エーリヒはその禁止令が出た5日後にベルリン歌劇場のシェフを辞任します。そして、1935年のザルツブルク音楽祭出演の後、妻と当時5歳のカルロスらを伴ってアルゼンチンへと亡命をします。
しかし、その後も南米を活動の拠点としながらも、ヨーロッパでも指揮活動が可能だった地域での演奏活動を行っています。
このベルギー国立管弦楽団とのベートーベンもその様な活動の記録なのですが、やはりベルリンやウィーンのオケを指揮していたときと較べると明らかに物足りなさを覚えます。
おかしな言い方になるのですが、そしてベルギーのオケに対しても失礼な物言いにはなるのですが、こういう録音を聞いていると亡命によって失ったものがいかに大きかったかを教えられるのです。
そして、「ドレスデンの歌劇場は私にとってもっとも理想的な場所だ」と言ったベームの気持ちも理解できるような気がするのです。
そう考えれば、亡命という決断には大きな犠牲が伴ったと言うことです。
しかしながら、戦後のドイツではその様にして亡命した文化人に対して「国を捨てて安逸な場所を選んだ連中」という批判が影で囁かれたのです。
そう言う意味でも、「亡命」とは大きな犠牲を伴う決断だったのです。