ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
エーリヒ・クライバー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1933年録音
既に紹介している1923年録音の「美しき青きドナウ」はポルタメントを多用した仰け反るような演奏でした。それは、彼が指揮者を目指した原点がマーラーにあったことをはっきりと刻み込んだ演奏でした。
しかし、20世紀という時代の中にあって、エーリヒは少しずつそのスタイルを変えていきます。
その変化はベルリンフィルと1931年に録音された「美しく青きドナウ」を聞けばどんな鈍な耳であっても聞き分けることが出来るはずです。
しかし、それでも今の耳からすればかなり古いスタイルのものでした。
しかし、そこから2年を経た1933年に録音された一連のウィンナー・ワルツを聴くと、そこにはエーリヒを特徴づける虚飾のない直線的な造形がはっきりと姿を現していることに気づかされます。
「こうもり」序曲や「ジプシー男爵」序曲、ヨーゼフ・シュトラウスの「オーストリアの村つばめ」、スッペの序曲「軽騎兵」等は、どれを聴いても、私たちがエーリヒの名前を聞いて思い浮かべる姿と大きな違和感は感じません。
そう考えれば、40歳の坂を越えた時点で、エーリヒはついに自分の型のようなものを見いだし始めたのかも知れません。
そして、そのまま平穏な日々が続けば、ベルリン国立歌劇場のシェフというヨーロッパ最高峰の地位を拠点として、その芸をさらに深めていったであろう事は容易に想像がつきます。
しかし、そのまさに1933年にナチスが政権の座につき、その翌年にヒンデミット事件が起こり、それをきっかけとしてエーリヒはドイツを離れることになります。
嫌みではないのですが、その振る舞いは、「ドレスデンの歌劇場は私にとっては最高の環境だった」と言ってドイツに残ることを選んだベームとは対照的でした。
しかしながら、道義的にはエーリヒの態度の方が称賛に値するのですが、戦後のドイツでは表面的にはともかく、実質的にはそれが疎まれることになるのですが、その事はまた別の項で詳しくふれたいとは思います。