エルネスト・アンセルメ/モーツァルト:交響曲第40番/スイス・ロマンド管弦楽団

モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K. 550

エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1942年録音

第2次大戦中のスイスと言えば「永世中立」という立場ゆえに「平安」を享受できたのではないかと思われるのですが、事はそれほど牧歌的ではなかったようです。
何故ならば、同じように「中立」を宣言していたオランダやベルギーがナチス・ドイツによって蹂躙され、さらにはヒトラーはスイスへの敵愾心を隠そうとはしなかったらです。彼はスイス人を「もっとも卑しむべき下劣な国民、新ドイツの敵」と酷評してスイスへの侵攻をあらゆる場面で表明していたからです。

そのため、スイス政府はドイツがオーストリアを併合した1938年の時点で、最後の血の一滴まで搾り出して国を守る決意を表明しているのです。
そして、第2次大戦が開始されると、軍の最高司令官である「Henri Guisan(アンリ・ギザン)」による統治という非常時体制へと移行し、国民の1割に当たる43万人を動員しているのです。
そして、アンリ・ギザンはスイス軍に対していかなる降伏命令も無視するよう指令するのです。

これだけ聞くと旧日本軍の「玉砕作戦」を想起させるのですが、この指令はそう言うものではなくて、山岳地帯のスイスでは全軍に降伏命令を正確に伝えることが不可能なためでした。
しかし、この指令はドイツに対して「スイスは降伏しない」というメッセージを明確に伝える役割を果たすのです。

結果として、12個師団を投入してスイス侵攻を計画していたヒトラーは、侵攻が成功しても、その後の山岳地帯を根城にしたゲリラ戦法によってその12個師団がスイス国内に貼り付けられてしまうことを恐れてその計画を断念してしまいます。

しかし、この国力の限界を超えた臨戦態勢はスイス国民に対して戦時下の国民と変わらないか、時によってはそれ以上の負担を強いることになります。
平和はそんなに簡単に手に入らないと言うことなのでしょう。

財政的に安定せずに不安定な状態が続いていた「スイス・ロマンド管弦楽団」は1938年にスイス・ロマンド放送のオーケストラを合併します。
これによって、放送局から財政的なバックアップを受けるようになり、さらにはデッカと契約して数多くの録音が行われるようにもなりました。

この第2次大戦真っ最中の録音もそういう「Decca」録音の一つだったようです。そして、それが上で述べたような死ぬほどの思いによって維持された「中立」の立場による賜物だと思えば感慨深いものがあります。
ただし演奏の方はかなり荒っぽいアンサンブルで到底上等と言えるようなものではありません。
おそらく、オケのメンバーも生きていくので必死だったのかも知れませんし、そう考えればこの荒さも歴史の一断面といえるのかもしれません。