クーベリック/モーツァルト:「皇帝ティートの慈悲」K.621 序曲/フィルハーモニア管弦楽団

モーツァルト:「皇帝ティートの慈悲」K.621 序曲

ラファエル・クーベリック指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年録音

このオペラは昔から「駄作」というレッテルを貼られ続けてきました。
ケッヘル番号からも分かるように、このオペラは「魔笛」と「レクイエム」と言う大作の狭間で、僅か一ヶ月程度で完成させられています。おそらく、これだけに専念してもその短期間で完成させるのは凡人には想像も出来ないことなのですが、モーツァルトは「魔笛」と「レクイエム」との同時並行で完成させているのです。

ただし、そう言う離れ業を実現するために、このオペラのレチタティーヴォを弟子のジュースマイヤーに任せるという「ずる」を行ってはいます。
そして、その「ずる」は初演時には知れ渡っていたようで、初演に際してはそれほど大きな成功はおさめられなかったようです。

昔から、体調も優れず、さらに言えば時間もほとんどない状態だったにも関わらず、どうしてそんな無茶な注文を受けたのかが疑問視されていました。
そして、その疑問に対するもっとも納得できる回答が、注文主が示した250ドゥカーテンという破格のギャランティでした。それは、宮廷作曲家の数年分の年収に相当する額だったのです。

しかしながら、このオペラは初演時にはそれほど評判は呼ばなかったのですが、時が経つにつれてじわじわと評判を呼ぶようになり、プラハでは異常な喝采を浴びるようになっていきます。
その報せを親友のシュタードラーから受け取ったモーツァルトは、バーデンで療養中のコンスタンツェに嬉しそうに書き送っています。
また、ロンドンではじめて上演されたモーツァルトのオペラはフィガロでもなければドン・ジョヴァンニでもなく、この「ティト」だったのです。

それでも、長きにわたって「ティト愚作説」はついて回りました。
その説にはじめて異議を唱えたのがアインシュタインだったのですが、それでも多くの人の耳をもう一度この作品に向けさせるためにはさらに多くの時間が必要だったのです。