マーラー:交響曲第5番
ラファエル・クーベリック指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 1951年録音
コンセルトヘボウにはマーラー演奏の長い歴史があります。
マーラー自身も何度もコンセツトヘボウの指揮台に立っていますし、メンゲルベルクも一晩の演奏会でマーラーと交代しながら指揮をしたこともあります。
このオーケストラほどマーラーとの関わりが深いところはないでしょうから、このクーベリックによる演奏もその様な「伝統」の上に立脚しています。
もちろん、メンゲルベルクのようにポルタメントをかけまくることはないのですが、それでもここぞという場面ではポルタメントをかけることで何とも言えない妖艶な雰囲気を演出しています。
そして、こういう演奏を聞くと、今の指揮者はどうしてポルタメントを忌み嫌うのだろうかと思ってしまいます。
「ポルタメント=下品」と言う図式は今となっては覆りそうもないので、作曲家が「port.」と指定している以外は「保身」のためにそう言う危ない橋は渡りたくないのでしょう。しかしながら、そう言うポルタメントとは縁遠い人のように思われる「巨匠クーベリック」も、この時代までは遠慮なくポルタメントをかけていたというのは興味深い事実です。
録音フォーマットがアナログあらデジタルに変わった頃からでしょうか、マーラー演奏と言えば毛穴の奥まで見えそうなほどに精緻に演奏されるのが常となりました。
それが、4Kとか8Kとか言われる「スーパーハイビジョン」の世界だとすれば、この演奏はかつての地上波の世界であり、さらに言えばアンテナの設置の仕方が悪くてゴーストが発生しているような世界かも知れません。
しかし、昔から「夜目、遠目、傘のうち」と言われるように、ボンヤリしているがゆえに美しさが引き立つというのも事実です。
そう言う意味で言えば、この演奏と録音は「夜のとばりの中で、傘をさした女性の姿が、遠くほんのりと照らし出されている」ような風情です。
まさにパーフェクト!!
とりわけ、有名な「アダージョット」はメンゲルベルクほどではないにしても、それでも昨今の演奏からすれば十分すぎるほどに妖艶な世界が立ちあらわれています。
しかしながら、この数年後にウィーンフィルと録音した第1番「巨人」では随分と直線的であっさりした演奏になっています。
ウィーンフィルというのはほとんどマーラー演奏の経験を持っていませんから、ある意味でそちらの方がクーベリックの素の姿があらわれていたのかも知れません。
そう思えばまさにコンセルトヘボウ恐るべし!!なのです。