クーセヴィツキー/ラフマニノフ:ヴォカリーズ/ボストン交響楽団

セルゲイ・ラフマニノフ:ヴォカリーズ

セルゲイ・クーセヴィツキー指揮 ボストン交響楽団 1945年3月31日録音

私はこのラフマニノフの「ヴォカリーズ」という作品はどうにも好きになれませんでした。
しかし、その好きになれない理由が「作品」そのものにあるのではなくて「演奏」の側にあることをこの録音は教えてくれました。

なぜ好きになれなかったのかと言えば、延々と歌い継がれる旋律ラインが美しいことは美しいのですが、どこかメリハリがなくてしばらく聞いていると飽きてくるのです。
さらに言えば、その美しさに身をゆだねすぎて、音楽全体がどこかグダグダになっていくような雰囲気もつきまとうのです。

しかし、、そう言う不満が「作品」にではなくて「演奏」にあることをこの録音ははっきりと教えてくれるのです。
おかしなたとえですが(^^;、どんなに美味しいうどんの麺でも、それをグダグダになるまで煮込んでしまえばまずくなるのは理の当然です。
そして、まずくなる責任がうどんの麺にではなくて、そこまで煮込んでしまった料理人の方にある事は明らかなのです。

つまりは、ほとんどの指揮者がこの作品を煮込みすぎているのです。

おそらく、十分すぎるほど甘い音楽というのは、クーセヴィツキーのように本質的に素っ気なさを内包したような指揮者の方が相性がいいのでしょう。
甘さに引きずられることなく、気合いを入れて(あちこちからクーセヴィツキーのうなり声が聞こえてきます)キッチリと造形してるが故に、逆にこの作品が持っている本当の「甘さ」が浮き彫りになっているのです。