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クーレンカンプ/ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番/シューリヒト指揮 1946年録音

マックス・ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26

(Vn)ゲオルク・クーレンカンプ カール・シューリヒト指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 1946年録音

ナチスによるユダヤ人への迫害と追放はドイツの音楽界に多大な影響を与えました。その中でも、とりわけ影響が大きかったのがヴァイオリニストでした。
有能なヴァイオリニストの少なくない部分はユダヤ人によって占められていましたから、当時のドイツで世界レベルで活躍できる非ユダヤ系のヴィオリニストと言えばクーレンカンプくらいしか残らなかったのです。

そして、その傷手は演奏家だけでなく教育活動にも及びましたから、ドイツにおけるヴァイオリニストの不在は戦後になっても長く尾を引くことになります。
そんな非ユダヤ系のヴィオリニストであるクーレンカンプの名前が世界中に知られるようになったのは、1937年に行われたシューマンのヴァイオリン協奏曲の初演でした。

この初演を巡っては様々な駆け引きが行われたのですが、最終的にはナチスの国威発揚のためにクーレンカンプが起用されて演奏会が行われ、その模様は短波放送で世界中に発信されたのです。
そして、この初演の成功がクーレンカンプを「ドイツの至宝」という地位へと引き上げてしまいました。
ヒトラーは彼のことを「私の愛好するアーリア人の名手」と呼びました。

しかし、彼はシューリヒトと同じように、必ずしもナチスに対して協力的ではありませんでした。
シューリヒトがアムステルダムでマーラーの大地の歌を演奏したように、彼もまたナチスからの妨害にめげることなくメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を録音しています。
当然の事ながらナチスは激怒するのですが、それでも屈することのなかったのがクーレンカンプというお十でした。

そして、シューリヒトと同じく1944年にはスイスに移住して、実質的に亡命をするのですが、ナチスの元で「至宝」と持ち上げられたことが禍して戦後の活動は大幅に制限されることになってしまいます。

また、元来が病弱だったこともあって、戦後はめぼしい活動をほとんど出来ないまま1948年にひっそりとチューリッヒでこの世を去ります。
その意味では、この同じくスイスに亡命していたシューリヒトとのコンビで録音されたブルッフの演奏は貴重です。

ヨアヒムからの流れを汲む数少ないドイツ系のヴァイオリニストであり、美音よりはよく考えた造形で音楽を象っていくスタイルは今となっては極めて貴重な演奏スタイルだと言えます。

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