ストック/シベリウス:悲しきワルツ/シカゴ交響楽団 1930年代の録音

フレデリック・ストック指揮 シカゴ交響楽団 1930年代の録音
シベリウス:劇音楽「クオレマ」より「悲しきワルツ」 作品44の1

「フレデリック・ストック」は20世紀の前半にシカゴ交響楽団の音楽監督として、このオーケストラの発展に力を尽くした指揮者です。
前任者だったセオドア・トマスに見いだされてヴィオラ奏者としてオーケストラに入団をするのですが、指揮者としても有能だと言うことで1899年に准指揮者に昇格します。そして、そのトマスが急死すると、取りあえずのつなぎとして指揮者に昇格したのが1905年でした。

その後、オーケストラの評議委員会はマーラーやハンス・リヒター、ワインガルトナーというビッグネームを招聘しようとするのですが、それらはすべて失敗してしまいます。
しかし、その間も律儀に指揮者としてのつとめを果たすストックの姿にオーケストラの団員達からストックのままでいいじゃないかという声が上がってきて、ついには1911年に正式に音楽監督に就任します。
そして、1942年に亡くなるまで、結果として37年間にわたってシカゴ響を率い続けるのです。

指揮者等という仕事につく人というのは尖った部分があるのが普通ですから、このストックみたいに「取りあえずの中継ぎ」という立場で6年も放置されれば、普通は嫌になってどこかへ行ってしまうものです。
しかし、ストックという人はそう言う剣呑なことにならずに、律儀に与えられた仕事を6年にわたってこなしていったところに、この人の人間性が表れています。

ただし、驚くのは、そう言う「いい人」でありながら、音楽も素晴らしかったことです。
だいたいこの二つは両立しないというのが世の常です。
しかし、ストックは本当の意味で、音楽だけで、その素晴らしさを語らせることが出来た人でした。

演奏家は作曲家に仕えると口では言いながら、その演奏スタイルを見てみれば、作曲家を踏み台にして演奏家だけが目立とうとしている事が多いものです。
それに対して、ストックという人は指揮姿は地味で、本当に前にしゃしゃり出ることのなかった人だったようです。

そして、音楽もまた、何の見栄も外連もないにもかかわらず、聞き進んでいくうちに音楽の中に没入させてくれるという素晴らしいものでした。