マーラー:大地の歌
カール・シューリヒト指揮 (T)カール=マルティン・エーマン (A)ケルステン・トルボルイ ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 1939年10月5日録音
こういう録音こそ、歴史的録音という言葉がもっとも相応しいのかもしれません。それは、まさに「歴史的」という言葉の通り、一つの時代の相をものの見事に切り取ったような瞬間が刻まれてるからです。
事件は最後の第6楽章「告別」で起こります。
既に第2次世界大戦が勃発した1939年10月に、ナチスドイツの隣国であるオランダでマーラーの作品を演奏するというのは明らかに政治的な意味合いをもたざるを得ません。それも、当初はメンゲルベルクが指揮する予定だったのに急遽キャンセルとなり、変わりにドイツ人であるシューリヒトが代役をつとめたのです。
メンゲルベルクのキャンセルはナチスとの間でいざこざが起こることを嫌って「逃げた」のかと思ったのですが、彼は11月にマーラーの4番を指揮していますから、それはないようです。
ちなみに、フルトヴェングラーはナチスがユダヤ人作曲家の作品を演奏禁止にした後はマーラーも含めて一切演奏をしていませんから、シューリヒトの勇気は讃えられていいでしょう。そして、そう言う緊張感の中で行われた演奏会だったこともあり、それほど良好とは言えない録音の向こうからこの上もなく思い詰めたような音楽が聞こえてきます。
その締め付けられるような緊張感は最終楽章の「告別」において会場全体を覆い、そしてオーケストラが極限まで静まりかえったときに、一人の女性の声がこの上もない冷たさと非情さでその音楽を貫き通します。
Deutcheland uber alles, Herr Schuricht !
ドイツ語の分からない私でも、そしてその言葉が何を意味しているのかが分からなくても、それがナチスシンパによる嫌がらせであり警告であることは容易に感じ取れます。
それほどまでにその声には冷酷なるファナティックが宿っています。そして、その声を後押しするように何人かの口笛が響きます。
ところがこの声と口笛を「ドイツでは演奏禁止となったマーラーをオランダで指揮するドイツ人指揮者シューリヒトに対するエール」だと解釈する人もいるそうなのですが、私にはとてもついて行けない感性です。
確かに、言葉面としては「世界に冠たるドイツ帝国ですよ、シューリヒトさん」ですから、それだけ見ればいかようにも解釈は可能ですが、この音楽の中で発せられるその言葉を実際に聞けば、到底あり得ない解釈です。
ナチスの本質は暴力です。
彼らは自分たちにとって不都合なことを主張をするものを決して許さず、それを黙らせるためのもっとも手早くて効果的な方法として「暴力」を用いました。
ですから、そう言うナチスの振る舞いと前科は多くの人に知れ渡っていましたから、このようなことを続けていればナチスによる「暴力」の対象となることを警告したものだったことは容易に理解できたはずです。
そして、この「警告」の後に歌い出すのがユダヤ人であるワルターお気に入りの、ユダヤ人歌手「ケルステン・トルボルイ」だったのですから、その言葉を「勇気を讃えるエール」だと誤解するような余地はないのです。
それにしても、この女性の声は驚くほど明瞭に刻み込まれていますから(演奏時間で言うと53分40秒をこえたあたり)、おそらくは立ち上がって声を発したものだと思われます。
その視線の先にいたのはおそらくトルボルイだったのかもしれません。
ですから、讃えられるべきは、その様な状況になっても彼らは最後まで緊張感を維持して素晴らしい演奏を成し遂げたことです。
そしてその一瞬に、人のこの上もない愚かさと偉大さが交錯したのですが、何が「愚か」であり何が「偉大」であったのかを証明するために支払われた犠牲はあまりにも大きすぎました。
そして、時が経れば、再びその「愚か」さは「正義」の衣をかぶって再証明を挑むのです。
そして、今日も世界中の至るところで「○○は偉大なり!」と己の信じる愚かさの神に祈りを捧げるのです。
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