カラヤン/アイネ・クライネ・ナハトムジーク/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1946年10月録音

モーツァルト:セレナーデ第13番 ト長調 K.525 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1946年10月録音

カラヤンは46年1月にウィーンフィルとの演奏を再開するのですが、すぐにソ連側から戦犯容疑でストップがかかります。フルトヴェングラーやリヒャルト・シュトラウスのような大物ではなかったにしてもれっきとしてナチス党員だったことは事実なのですから、それは仕方のないことだったでしょう。
しかし、その後の動きは素早く、アメリカ占領地域で裁判を受けて非ナチ化という免罪符を獲得します。
そして、同じ年の9月からは再びウィーンフィルを指揮して活動を再開します。

とは言え、この傷は彼の生涯について回りました。
何度目かの来日時の記者会見でも「カラヤンさんはナチ党員だったと聞いています。党員番号を教えていただけませんか」という質問が出て会場が凍りついたこともあったそうです。
日本でさえこういう事があったのですから、戦後最初のアメリカツアーの時には客席から何度も「ゴー・ホーム・ナチ野郎!」の罵声が飛んだのです。

しかしながら、そう言うカラヤンを全面的にサポートしたのがEMIのウォルター・レッグでした。
このあたりがイギリス人の懐の広さというか、したたかさなのでしょう。

おそらくは、レッグはカラヤンの若々しくスタイリッシュな音楽こそがこれからの時代には必要と見抜いたのでしょう。
もちろん、その反対側ではフルトヴェングラーという巨匠も押さえていたのですが、レコードの売り上げは常にカラヤンには及ばず、それがまたフルトヴェングラーのカラヤンに対する敵愾心を燃え上がらせることにもなったようです。

ただし、当時の人がフルトヴェングラーよりはカラヤンの音楽を求めたのは何となく分かるような気がします。
戦争という鬱屈の時代を生き延びて、新しい開放感の中で聞きたいと思うのは、お化けが出てきそうなフルトヴェングラーのような音楽ではなくて、若々しくてスタイリッシュな明るい音楽だったはずなのです。

この古典的に引き締まった、そしてチャーミングさを失わない音楽こそが、当時の人が直感的に求めたものだったのでしょう。