モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595
(P)アルトゥル・シュナーベル ジョン・バルビローリ指揮 ロンドン交響楽団 1934年5月2日録音
この二人にとって1934年という年はどのような年だったのでしょうか。
チェリストとして音楽家としてのキャリアをスタートさせたバルビローリにとっては、指揮者に転向してその前途が洋々と開けようとする時期でした。彼はこの2年後にニューヨークフィルの首席指揮者に抜擢されます。
シュナーベルにとっては、1932年から開始したベートーベンのピアノソナタの全曲録音が現在進行形の時でした。
大陸の方ではナチスが政権を握るという不穏な動きも起こっていたのですが、この時の二人にとってはそれは対岸の火事だったでしょう。もちろん、あれやこれやと大変なこともあったでしょうが、二人とも人生上り坂、絶好調の時代だったはずです。
そんな二人にとって、この後躓きの石となるのがアメリカという異文化との出会いでした。
イギリスではその才能を十分発揮できていたバルビローリも、ニューヨークでの日々は思うに任せぬ不遇の日々が続き、ついには大戦のさなかにイギリスに舞い戻ることになります。
シュナーベルの場合はもっと悲劇的でした。
彼がアメリカの商業主義とマッチングしないことはアメリカデビューの時から分かっていたことでした。
興行主から「あなたは路上で見かける素人、疲れ切った勤め人を楽しませるようなことができないのか」と言われても、「24ある前奏曲の中から適当に8つだけ選んで演奏するなど不可能です」と応じるような男だったのです。
そんな男がナチスによってアメリカへの亡命を余儀なくされたのは不幸以外の何ものでもありませんでした。
もちろん、この時に、その様な「未来」が待ち受けているとは想像も出来ない中での録音だったのでしょうが、この淡々とした音楽の中に滅び行くヨーロッパの残り香のようなものを感じるのは私だけでしょうか。
テクニックの弱さを常に指摘されるシュナーベルも、ここではそれは大きな問題にはなるはずもなく、そのピアノを歌わせる彼の美質がいかんなく発揮されています。
とりわけ、緩徐楽章での思い入れたっぷりの歌わせ方は今では絶対に聞くことが出来まくなったものですし、それに機敏に反応するバルビローリの「歌わせ上手」も見事なものです。