ワルター/モーツァルト:交響曲第41番

モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 「Jupiter」 K.551

ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1938年11月1日録音

ワルターにとってはヨーロッパ時代のほぼ最後を飾る録音です。
ただし、ワルターの身辺はますます緊迫の度を増していました。

1933年にナチスが政権を握るとユダヤ人であるワルターは様々な嫌がらせに遭遇します。そして、ついには銃弾が楽屋に撃ち込まれて演奏会が中止に追い込まれるようになるとドイツを離れることを決心します。
ところが、その移住先に選んだのがオーストリアのウィーンなのです。
しかしながら、1938年にはオーストリアはドイツに併合されてしまい、ワルターは命の危険すら感じるような状態に追い込まれます。このジュピターの録音や、この6日後に行われたマーラーの9番はその様な緊迫した状況の中でおこなわれたものです。
そして、ついにオーストリアを離れる決心をして向かった先が何とフランスなのです。

そして、そのフランスも1939年の第2次大戦の勃発によって安全ではなくなって、ようやくにしてアメリカへの亡命を決心するのです。

この時のワルターの身の処し方は政治音痴だったとよく言われるのですが、逆から見れば、そこまで彼はヨーロッパでの音楽活動に執着したのだとも言えます。
おそらく、このウィーンを去る直前に録音されたこのジュピターの演奏は、そう言うワルターの乱れる心の有り様が反映しているかも知れません。

一般的にはあまり評価の高くない録音なのですが、涙がにじむような第2楽章からはワルターの無念の嗚咽が聞こえてくるような気がします。