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バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV.1041

(Vn)イェフディ・メニューイン ピエール・モントゥー指揮 パリ交響楽団 1933年4月21日録音
これは私の勘違いによるミステイクでした。正しくは以下の通りです。

(Vn)イェフディ・メニューイン ジョルジュ・エネスコ指揮 パリ交響楽団 1936年2月21日録音

パリ交響楽団は1928年にパリ在住の音楽を愛する篤志家たちによって創立されました。しかし、彼らの大部分は個人投資家や金融家だったために翌年の世界大恐慌で打撃を受けてオーケストラの支援どころではなくなってしまいます。
その様な苦境の中で私財を投じてこのオケを支えたのがモントゥーでした。

しかし、そのモントゥーも35年にはアメリカに渡ってしまうので、音楽的にも資金的にもサポートを失ってしまったオーケストラは1938年には解散ししまいます。

今の耳からすれば、メニューヒンをサポートするこのオケの響きは重く感じてしまうのですが、それは時代がもたらす制約ですから受け入れるしかないでしょう。
しかし、この時代のメニューヒンは本当に恐れを知らず、自分の思うがままにバッハを演奏しきっています。
もしかしたら、この「恐れを知らない」自信、それがたとえ確たる根拠がなかったとしても、それを最後まで持ち続けることが出来た人だけが「巨匠」と呼ばれるのでしょうか。

しかし、そう言う「俺さま症候群的」な自信は自分では音は出さない指揮者ならば持ち続けることは出来ても、音が出せなくなったソリストとなるとそれは不可能なのでしょう。
年を重ねて苦闘し続けたメニューヒンを既に知っているものにとっては、この若い時代の演奏は眩しく見えます。