バックハウス/ブラームス:6つの小品, Op.118

ブラームス/6つの小品, Op.118

ヴィルヘルム・バックハウス 1933年録音

バックハウスは1956年にもこの作品を録音しているのですが、そこではかなり強めのタッチでくっきりとしたラインを描きだしていて、ロマン派的な感情の入り込む余地のないザッハリヒカイトな表現に徹しています。
それと比べると、この若き時代の演奏の方が、ブラームス晩年の侘びしさのようなものをある程度のニュアンスを込めて演奏しているのがよくわかります。

晩年の演奏が「何も足さず、何も引かず、男は黙って辛口一献」という演奏だとするならば、こちらの方がもう少し「甘口」で愛想があります。

1件のコメント

  1. 編集不可能の時代に、バックハウスはブラームスの難曲を弾いている。比較しているのは、ベートーベンのピアノ作品とである。作品118は最晩年の作品だから、ブラームスの難曲とは言えない。作品76などは、今でも録音の数も少ないのだから、ピアニストにとって未だに難曲である事の表れだ。技術解釈共にだ。
    バックハウス晩年の録音は、技術的には破綻は無いが、演奏のエネルギー量の総体は小さくなっている。情報量が減少させる事で、誤魔化しているとも言える。この1933年の演奏は、エネルギーの総量は数倍はある。自分の主観でしかない。1930年頃、西欧でピアニストを聴きまくった男がいた。船で旅行をしたのだろう。若くて奇麗なアルゲリッチが、その男の話を聴いて、「お爺ちゃん、凄い。ラフマニノフの話をもっとして・・・。」と頼んでいたのを、音楽の友で読んだ事がある。野村光一だ。今や、コンクールで野村光一賞と言う名前を残している。
    彼が、バックハウスの演奏を、パリパリと弾いていると書いていた。バリバリではない。当時、ブラームスを弾きこなせるピアニストはいなかった。技術的に高く、表情も入れる音が可能であったのだ。音色の事をパリパリと書いたのだ。バックハウス御自身のみの時間軸で測るのではなく、他のピアニストの演奏を入れて、多次元で感じる方が、自分には合っているようだ。
    高齢まで技術的に高くて、ウイーンフィル・ベームとの共演で、ベートーベンの第四番とブラームスの第二番が、十八番で多くの聴衆を集めるバックハウス。「暇な時には何をしていますか?」と質問されて、「音階の練習をしています」と答えた彼は、ピアノを弾くために生まれ、脳の障害で調子が悪くなっても、演奏会をやり通した。
    高いエネルギーで弾く事は無理だが、智慧の持ち主であると感じる。

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