メニューイン/無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番

J.S. バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004

(Vn)イェフディ・メニューイン 1934年6月14日&23日録音

とある雑誌で坂本龍一氏がバッハのこの作品を取り上げていて、一番好きな録音としてメニューインのものを挙げていたのです。
坂本龍一ともあろうものが何というチョイスだと思いました。
1956年から57年にかけて録音されたメニューインの無伴奏ヴァイオリンのソナタとパルティータの演奏は、悪くはないですが、同時代の他の録音と比べると自己主張の乏しい演奏だという思いがあったからです。

しかし、不思議なこともあるものだと、その雑誌をもう一度よく見てみると何と1934年録音とあるではないですか。

恥ずかしながら、メニューインには若い時代の無伴奏の録音があることは知っていましたが、聞いたことがありませんでした。しかし、あの坂本龍一が推しているなら聞くしかないと思って、「確かどこかにあったはずだ」とCDの棚を探し回ることになりました。残念ながら全曲録音したものは手元にないことが分かりましたが、シャコンヌを含むパルティータの2番の録音だけは奥の方から出てきました。

1934年の録音ですから、この時メニューインはまだ18歳です!!
バッハの無伴奏ヴァイオリンのソナタとパルティータと言えば、功成り名を遂げたヴァイオリニストが、己の演奏家人生の集大成として録音するものでした。楽器は異なりますが、チェロのロストロポーヴィチがバッハの無伴奏組曲を70歳を前にするまで全曲録音しなかった事は有名な話です。
それが何と、18歳です。

調べてみると、この全曲録音は1934年から36年にかけて録音されていますから、18歳から19歳にかけての録音だと言うことになります。
確かにメニューインは「神童」とよばれたヴァイオリニストでした。7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演して初舞台を踏んだという早熟の天才であったことは事実です。しかし、いくら何でも早すぎるだろうという思いは拭いきれません。
でも、坂本龍一が推しているのです、聞いてみるしかありません。(^^;

そして、聞いてみて、坂本龍一が何故にこの録音を推したのかがすぐに理解できました。
何という勢いに満ちた好き勝手な演奏でしょう。50年代の自己主張の弱い平均的な演奏と比べると、これが同一人物の手になるものかと俄には信じがたくなります。
なるほど、坂本龍一の目に狂いはありません。

この演奏がすっかり気に入ったので、早速残りの録音も入手して聞いてみました。そして、パルティータ2番以外の録音もまた、驚くほどに奔放な演奏であることを確認しました。

疑いもなくメニューインは早熟の天才でした。そして、その才能に彼は一片の疑いも持っていませんでした。幸いなことに、彼のもてる才能とそれに対する自信は見事なまでに釣り合っていました。過信もなければ不必要な謙遜もなく、ひたすら己の信じるバッハを何の疑いも衒いもなく演奏しきっています。

この録音を聞いていて、私の脳裏に浮かんだのがヨー・ヨー・マが20代で録音した無伴奏チェロ組曲の演奏でした。
ロストロが「私にはまだ早すぎる」などと言い、他の大物チェリストも眉間にしわを寄せてうんうんと呻りながら録音していたものを、彼は何の疑問も衒いもなく軽々とこのチェロの聖典を弾ききりました。そのあまりの軽さと伸びやかさに多くの人が驚き、「こんなに軽々と演奏されたのではたまったものではない」と正直に言った評論家もいたほどです。しかし、世の評論家の多くは「精神的深みに欠ける」という常套句でその録音を切って捨てました。
しかし、偉い先生たちに切って捨てられようと個人的には一番好きな録音でしたし、今もその思いは変わりません。
それに何と言っても録音が良かったです。あれほどチェロの伸びやかな響きをすくい取った録音はそうあるものではありません。

しかし、そう言うヨー・ヨーマの録音以上にこのメニューインの録音はエキサイティングでした。
ヨー・ヨー・マはなんだかんだと言っても秀才です。確かに、己の才能を信じきる事のできる若さゆえの演奏ですが、基本的に音楽が上品です。
それと比べれば、このメニューインの演奏はまさにやんちゃ坊主そのものです。ですから、欠点をあげつらえばいくらでも数え上げることができるでしょうが、そう言う雑な部分までもが見事に魅力に転化しています。そして、そう言う嘘みたいな事が現実になったのは、メニューインを持ってしてもこの時代の録音のみでしょう。
過信もなければ不必要な謙遜もなく、ひたすら己の信じるバッハを何の疑いも衒いもなく演奏しきっています。