モーツァルト:ヴァイオリンソナタ 第34番 変ロ長調 K.378 (317d)
(P)リリー・クラウス (Vn)シモン・ゴールドベルク 1937年4月15日録音
ザルツブルグからウィーンへ:K.376~K.380「アウエルンハンマー・ソナタ」
モーツァルトはこの5曲と、マンハイムの美しい少女のために捧げたK.296をセットにして作品番号2として出版しています。
しかし、成立事情は微妙に異なります。
まず、K.296に関してはすでに述べたように、マンハイムで作曲されたものです。
次に、K.376~K.380の中で、K.378だけはザルツブルグで作曲されたと思われます。
この作品は、就職活動も実らず、さらにパリで母も失うという傷心の中で帰郷したあとに作曲されました。
しかし、この作品にその様な傷心の影はみじんもありません。それよりも、青年モーツァルトの伸びやかな心がそのまま音楽になったような雰囲気が作品全体をおおっています。
そして、残りの4曲が、ザルツブルグと訣別し、ウィーンで独立した音楽家としてやっていこうと決意したモーツァルトが、作品の出版で一儲けをねらって作曲されたものです。
ただし、ここで注意が必要なのは、モーツァルトという人はそれ以後の「芸術的音楽家」とは違って、生活のために音楽を書いていたと言うことです。
彼は、「永遠」のためにではなく「生活」のために音楽を書いたのです。
「生活」のために音楽を書くのは卑しく、「永遠」のために音楽を書くことこそが「芸術家」に求められるようになるのはロマン派以降でしょう。
ですから、一儲けのために作品を書くというのは、決して卑しいことでもなければ、ましてやそれによって作り出される作品の「価値」とは何の関係もないことなのです。
実際、ウィーンにおいて一儲けをねらって作曲されたこの4曲のヴァイオリンソナタは、モーツァルトのこのジャンルの作品の中では重要な位置を占めています。
特に、K.379のト長調ソナタの冒頭のアダージョや第2楽章の変奏曲(アインシュタインは「やや市民的で気楽すぎる変奏曲」と言っていますが^^;)は一度聴いたら絶対に忘れられない魅力にあふれています。
また、K.377の第2楽章の変奏曲も深い感情に彩られて忘れられません。
ここでは、ヴィオリンとピアノは主従を入れ替えて交替で楽想を分担するだけでなく、二つの楽器はより親密に対話をかわすようになってます。これら4曲は、マンハイムのソナタよりは一歩先へと前進していることは明らかです。
ヴァイオリンソナタ第34番 変ロ長調 K.378(317b)
- 第1楽章:Allegro moderato
- 第2楽章:Andante sostenuto e cantabile
- 第3楽章:Rondeau(Allegro)