奈良吉野(2)~上千本の桜

写真は4月18日に撮影したものです。

吉野の桜は麓の「下千本」から始まって、概ね3週間ほどかけて一番上の「奥千本」に至ります。ですから、当然の事ながらその全てが一斉に咲きそろうと言うことはありません。
私が訪れた4月18日には「下千本」はほぼ散っていて、「中千本」は落花盛ん、そして「上千本」が満開、「奥千本」は咲き始めという感じでした。

そこで問題となるのはどの時期に吉野に行けばもっとも見応えがあるのか、と言うことです。
もちろん、この「ベスト」に関してはその人によって「好み」もあるでしょう。長い距離を歩くのが大変という人は「下千本」が満開の時がベストでしょうし、西行に思い入れのある人にしてみれば「奥千本」が満開の時に西行庵を訪れたいでしょう。
しかし一般的には「中千本」が満開の時がもっとも美しいと言われています。

もちろん、「中千本」が満開の時は「奥千本」は蕾未だ堅しの状態です。しかし、「奥千本」は金峰神社のさらに奥に広がる地域ですから広く知られた「吉野の景観」からは切り離された場所にあります。金峰神社まで上がってきた人でも、そこからさらに西行庵のある「奥千本」にまで足を伸ばす人は桜の時期でもそれほど多くはありません。

高城山展望台から「奥千本」を望む

どうしても満開の桜の中で西行庵を見たい人は、桜の盛りを過ぎて少し静かになった頃に日を変えて訪れるのがいいかもしれません。

「中千本」が満開をむかえるときは「下千本」は散り始め「上千本」は満開近しの状態になります。
この時に「上千本」の花矢倉あたりから見下ろすと吉野の山の峰に添って山全体が桜に彩られることになります。

逆に、吉水神社から見上げれば、中千本、上千本の桜で吉野山が埋まる絶景を楽しむことができます。
この二大ポイントを見ずして吉野を語るなかれとは昔から言われることです。

花矢倉からの眺め 吉野といえばこの眺めが最も有名です

秀吉が「吉野の花見」を行ったのは文禄3年(1594年)の2月27日のことだと伝えられています。この「2月27日」は旧暦ですから、今の暦になおせば「4月17日」になります。吉野にとって見ればもっとも華やかに桜に彩られる時期だと言えます。
そして、この花見の宴の本陣が吉水神社でしたから、まさにその絶景を秀吉も目にしたことでしょう。

吉野の桜はソメイヨシノではなくて山桜です

この「吉野の花見」は秀吉の生涯においてみれば「北野大茶会(1587年)」と「醍醐の花見(1598年)」のちょうど中間点になります。
さすがに、「北野大茶会」のように「誰が参加してもよい」とはなりませんでしたが、「醍醐の花見」のような閉鎖性はなかったようです。
ですから、一般庶民が近づくことも許さなかった「醍醐の花見」とは違って、「吉野の花見」は興味津々の庶民が集まってきてはその様子をまわりから盗み見していました。秀吉もそんな庶民の様子が逆に嬉しかったのでしょう、あまり五月蠅いことは言わずに大目に見て許していたようなのです。

上千本の桜はまさに満開でした

そう言う意味においても、これは天下人となった秀吉の中間点とも言うべきイベントだったわけです。
そして、その「花見」の楽しげな様子を見ていた人達も桜の下で飲み食いをして楽しむという「遊び」を真似るようになって、それが日本の「花見」のルーツになったという人もいるようです。

ぶらぶらと下っていくのが吉野の花見のスタイルです

また、この「花見」には面白いエピソードが残されています。

それは、5000人にも上る秀吉一行が吉野にやってきたのに、吉野に着いた日から雨が降り続いたのです。
最初の一日くらいは仕方がないと言うことだったのでしょうが、それが2日となり3日ともなると、ついに秀吉の堪忍袋の緒が切れてしまったのです。

そして、同行していた聖護院の僧「道澄」に「雨が止まなければ吉野山に火をかけて即刻下山する」と伝えたのです。
驚いた「道澄」はすぐさま吉野全山の僧に命じて「晴天祈願」をさせます。そして、その祈願の功があったのか翌日は嘘のように晴れ上がって、秀吉は意気揚々と花見に出かけたのです。

上千本を下りきったところです

おそらく、吉野の神はこの秀吉という新参者を「日本の王」と認めていいのかどうか迷っていたのでしょう。そして、「吉野に火をかける」と言われてその新参者を渋々認めたのかもしれません。
それとも、その言葉を天下人秀吉の「稚気」と解して嘉したのでしょうか。

そう言えば、この「花見」でも秀吉は使用人の格好をして、山伏姿の仮装をして通り過ぎようとする伊達政宗一行に「お客の僧よ、立ち寄ってください。私はこの茶屋で召し使われている下人です。お代次第で何でもお望みのものを出しますよ」などと声をかけているのです。
もしかしたら、秀吉は花見のルーツを仕掛けただけでなくコスプレーヤーのルーツだったのかもしれません。
こんな三文芝居を見る限りは、閉鎖的で倦み疲れた雰囲気が漂う「醍醐の花見」よりも、意気軒昂たる「北野大茶会」の雰囲気に近いものがあったようです。

上千本を下ってくると吉野の町の家並みが見えてきます

ならば、吉野の神は彼を渋々認めたのではなくて、その「天下人に相応しい稚気」を愛でたのかもしれません。
そして、その「稚気」を失うきっかけとなったのが、おそらくはこの花見の翌年に引き起こされた「秀次切腹事件」だったのでしょう。

吉野水分神社の枝垂れ桜

秀吉は高野山で秀次を切腹させるだけでなく、その首を京の三条河原にさらして、さらには北政所の助命嘆願にも耳を貸さずに、幼子までをも含む39名の一族郎党を斬首に処したのです。そこには、吉野の花見で示した天下人としての「稚気」など欠片もなく、そして、おそらくは一度は嘉した吉野の神たちも秀吉を見放してしまったのでしょう。

吉野 金峯神社へ

今さら言うまでもないことですが、桜の時期の吉野の混雑は尋常ではありません。特に休日は吉野に至る国道が渋滞を起こして、夕方になっても吉野には近づけないこともあります。ですから、基本的には近鉄南大阪線で吉野に行くのが利口です。

ただし、それで吉野についても、そこから奥千本、上千本、中千本にたどり着くのも一苦労です。とりわけ、中千本から奥千本へのバスは小さなバス会社が運行しているマイクロバスなので、最低で一時間待ちは覚悟した方がいいようです。なので、待ちきれない人は自力で歩いて上がることになるのですが、ひたすら上りが続くので年配の方にはかなりきついようで、途中で諦めて下山する人も見かけます。

ですから、お金に余裕があれば、そして運が良ければ、吉野の駅でタクシーをつかまえて奥千本の入り口である金峰神社まであがってしまうことです。そうすれば、奥千本の西行庵を訪ねるのもそれほど大変ではありませんし、神社からはのんびりと下りながら上千本、中千本の吉野の桜の絶景を堪能できます。
タクシー料金は平日ならば割合すんなりと上まで上がるので4000円もかからないと思います。


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