(10)パガニーニ:24の奇想曲 作品1

ヴァイオリンという楽器をたどっていけば絶対に外すことの出来ない作曲家、それがパガニーニです。
ただし、クラシック音楽の歴史においてパガニーニの評価はそれほど高くないように見えます。とりわけ、精神性が優先されるこの国においては、名人芸だけの、中味が何もない音楽を書いた人という見方がまかり通っています。
例えば、彼の代表作の一つであるヴァイオリン協奏曲に対して、音楽之友社発行の「名曲解説全集」では「難しい技巧を十分に使った華やかな巨匠的協奏曲」であり、「いたるところに歌うような美しい旋律を見せている」としながらも「ただそれだけのことで、深みもなければ、新鮮な和声もなく、形式は単純である。(門馬直美氏)」と一刀両断されています。

Niccolo_Paganini

Niccolo_Paganini

クラシック音楽というものは、面白くもない音楽ををひたすら我慢して出来る限り長い時間にわたってウンウンと唸りながら聞いてこそ値打ちがある、という「暗黙の了解」が長きにわたって存在していました。
ですから、華やかな名人芸で聞くものを圧倒し、そして心地よくさせるような音楽は、その事だけで二流以下の下らぬ音楽とされてきたのです。

私がクラシック音楽などというものを聞き始めたのは80年代の初め頃なのですが、そのころでもこんな文章が普通にあふれていました。

「これからの私の人生にチャイコフスキーのような音楽が必要とされるようなことは二度とない。」
「もう私たちは、グリーグのピアノ協奏曲みたいな音楽からは卒業しなければいけない。」
「いつまでもシェエラザードのような音楽を聞いて、それがクラシック音楽なんだと考えている場合ではないのです。」

しかし、チャイコフスキーやグリーグは「卒業しよう」とか「二度と必要とはされない」と書かれるだけまだましで、パガニーニの音楽などはそういう批判の対象にもならない、「クズ」みたいな扱いを受けていました。

もちろん、そんな事を今の時代に正面切って主張する人はほとんどいなくなりましたが、それでもクラシック音楽というものに対する基本的なスタンスとして未だに背後霊のようにつきまとっています。

しかし、クラシック音楽を語る上でヴァイオリンという楽器は絶対に無視できません。
そしてヴァオリンという楽器を語るときにパガニーニの存在も抜きにして語ることは不可能です。
ですから、50曲の中に、この人の名前を抜かすわけにはいかないのです。

どうだ、この三段論法、参ったか!!(^^;;

ただし、パガニーニの音楽について語る前に、ヴァイオリンという楽器に起こった19世紀初頭の一大事件にふれておく必要があります。

19世紀にモデルチェンジされたヴァイオリン

ヴァイオリンは生まれたときからその姿形をほとんど変えなかったと言われるのですが、400年の歴史の中でほんの少しだけモデルチェンジをしたことがあります。
そのモデルチェンジは、演奏の主たる場が宮廷のサロンから広い劇場に変わった19世紀の初頭に行われました。

古いヴァイオリンは今の私たちが耳にするヴァイオリンと較べれば、音色は繊細で優美であっても音量がいささか小さかったのです。18世紀までの主たる演奏の場は狭い宮廷のサロンでしたから、そういう小さな音量の楽器であっても何の問題もありませんでした。

しかし、音楽を消費してくれる対象が一部の王侯貴族から裕福な市民層へと移り変わっていくと、演奏の場は狭いサロンから広い劇場へ変わっていきました。
そうなると、狭いサロンであればなんの不都合もなかった古いヴァイオリンの響きは、広い劇場ではいささか非力と言わざるを得なくなったのです。
そこで、クレモナなどで生み出されたオールドヴァイオリンのほとんどがこの時代に音量を大きくするための手術を受けることになったのです。

音量を上げるのは簡単です。音は空気の波であり、その大きさは振幅に比例します。
ですから、ヴァイオリンの音量を上げようとすれば弦の振動を大きくすればいいわけですから、基本的には弦を強く張れば解決します。

しかし、一見簡単そうに見えるこの変化は以下のような連鎖をもたらします。

  1. 弦の張力を高めれば当然のことながら音は高くなってしまいます。
  2. そこで、それを帳消しにするためには弦の長さを伸ばしてやる必要があります。
  3. 弦を伸ばす一番簡単な方法は弦を支えている駒を少し高くすることです。ピタゴラスの定理に従って弦の長さは簡単に長くなります。
  4. ところが、今度は、駒を高くしただけでは演奏がしづらいという問題が発生します。
  5. そこで、駒を高くした弦のラインに沿ってネックの角度を変えるというモデルチェンジが必要となります。

ということで、最後はネックを傾ける必要が出てくるのです。
そして、ネックを傾けるために以下の二通りの方法が一般的でした。

  1. ネックの部分を切り取って新しいものに取り替えてしまう。
  2. ネックと本体の間に楔を打ち込んで後ろに傾ける。

結果として、どちらの方法を採用するにしても結構な大手術となり、その手術を施すにはかなり高度な技術が必要でした。
しかし、終わってみれば見た目はほとんど変わりません。
面白いのは、音には直接関係ないにも関わらず、ネックを取り替えてしまう場合でもヘッドの部分だけはオリジナルなものを継ぐのが一般的だったことです。ですから、ネックを取り替えるという大手術を行っても見た目は元のオリジナルとほとんど変わらないのです。

しかし、見た目はほとんど変わっていないように見えても、このモデルチェンジによってヴァイオリンは広い劇場の隅々にまで音を届ける能力を持ちました。
さらに、弦が長くなった分音域も広くなったので、ヴァイオリンは表現の幅をさらに広げることになりました。

このモデルチェンジが施されたタイプのヴァイオリンのことを「モダンヴァイオリン」と呼びます。
モデルチェンジが施されていない古いタイプのヴァイオリンのことを「バロックヴァイオリン」と呼びます。この呼称は、バロック以前からヴァイオリンは作られていたのでいささか正確さに欠ける表現なのですが、まあ仕方がありません。

そして、おかしな話ですが、ストラディヴァリウスやグァリネリなどのオールドヴァイオリンの大半はこの改造が施されているので、バロックよりも古い時代に生み出されたにも関わらず、彼女たちの大半は「モダンヴァイオリン」なのです。

とりわけストラディヴァリウスは、後世にこのような「改善(あえてそう言いきります)」が施されることを見越していたかのように、このモデルチェンジによって圧倒的に鳴りがよくなりました。
また、ロマン派の時代になると華やかさを求めて音楽のピッチはどんどん高くなるのですが、ストラディヴァリウスはその高いピッチに合わせて弦を強く張っても(一本あたり8㎏程度になります)、びくともしない強靱さを持っていました。
ですから、ストラディヴァリウスのことを「来たるべき時代を予言していた楽器」と呼ぶ人もいるほどなのです。

モダンヴァイオリンの能力を極限まで追求した男

ここまで書いてくれば、何故にパガニーニの存在が重要なのかはお分かりでしょう。
パガニーニこそは、このモデルチェンジによって圧倒的なパワーを持つようになった新しいヴァイオリン=モダンヴァイオリンの能力を極限まで引き出して、誰もが想像もしなかったほどの表現力を開発したのです。ですから、ヴァイオリンの音楽はパガニーニ以前と以後ではその相貌は全く別のものになってしまったのです。

パガニーニ以後では、世間的には精神性に溢れた渋い音楽と認定(?)されていても、その背後ではパガニーニが開発した様々な高度なテクニックが散りばめられているのです。コレッリやヴィヴァルディの時代のようなシンプルな技術だけで演奏できるような音楽は二度と表舞台に出てくることはなくなりました。生物の進化と同じように、音楽もまたシンプルなものからより複雑なものへと姿を変えていき、一度複雑化したものはなかなかもとのシンプルさに先祖帰りすることは難しいのです。

パガニーニは1782年にイタリアで生まれています。
ですから、彼は生きて活動しているベートーベンを十分に知っていたでしょうし、シューベルト(1797年~1828年)がなけなしの金をはたいてコンサートを聴きに行く憧れの存在でもありました。
さらには、失意のベルリオーズ(1803年~1869年)に金銭的な援助をして励ましたり、失恋で意気消沈していたリスト(1811年~1886年)に「僕はピアノのパガニーニになる」と奮起させる存在でもあったのです。
そして、前期ロマン派を代表するメンデルスゾーン(1809年~1847年)、ショパン(1810年~1849年)、シューマン(1810年~1856年)などと較べると少し年上なのですが、音楽家として活躍したのはほぼ同時代でした。

これがパガニーニという音楽家の歴史における立ち位置でした。
そして、彼はヴァイオリンのヴィルトゥオーソといて勝ち取った「成功」は、彼以前の「演奏家」が勝ち取った成功の全てを色あせたものにしてしまうほどのものでした。そして、その成功を妬んだものによって「悪魔に魂を売った」とまで言わしめるほどだったのです。

そんなパガニーニは5歳の時からヴァイオリンを弾き始めて、わずか13歳で学ぶべきものはなくなったと伝えられています。そして、その13歳の時から自力で様々な演奏テクニックを開発していったと伝えられています。

パガニーニが独自に生み出した技法として特に有名なのは「左手ピツィッカート」です。
「左手ピツィッカート」とは「左手で弦を押さえながら、同時に左手で非常に鋭く弦をはじく」という技法です。
普通に考えれば、同じ左手で弦を押さえるという操作と弾くという真逆の操作を同時にやるでのですから、人間の生理に反すること甚だしい技法なのです。普通は左手で押さえて右手で弾くのが通常の「ピツィッカート」なのですが、パガニーニはあえてこのような不自然なことをすることによって、通常の「ピツィッカート」では表現できない世界があることを発見したのです。

これ以外に、「フラジオレット奏法」も彼の得意技でした。
「フラジオレット奏法」とは弦を指板にまで押さえつけず軽く触れる程度で弾く奏法で、普通は1オクターブ上の非常に高い倍音が鳴ります。この技法はパガニーニ以前にすでにあったようなのですが、彼はこれを使ったスタッカートや重音奏法などを開発しました。聞くところによると、このフラジオレットによる重音奏法(ダブル・フラジオレット)は「左手ピツィッカート」と並んで超ムズイらしいです。
これ以外に急速なダブル・ストップ奏法(重音)や「スタッカート・ボランテ(跳躍的なスタッカート奏法)」なども彼の腕の見せ所だったようです。

そして、その様なヴァイオリン技法のデパートのような彼の作品を実際の音にしたのが、上でふれたようなモデルチェンジされた「モダンヴァイオリン」だったのです。
特に、彼が愛用したと伝えられているのが、1742年にグァリネリ・デル・ジェスが製作した「カノン」と名づけられたヴァイオリンでした。この「カノン」というニックネームは、その音の大きさゆえに大砲の「カノン砲」を連想させると言うことで名づけられました。

guarneri1742

The Cannon

そして、その様なモデルチェンジが為されたヴァイオリンを想定して、彼が持てる技法の全てを見せつける作品として作曲されたのが「24のカプリース(奇想曲)」でした。
この作品は、おそらく1800年頃から1810年頃にかけて、彼の演奏活動の中で少しずつ書き足されていったものだと思われます。そのあたりの経緯はパガニーニの場合は常に不明確なのですが、それでもこの作品に関しては1820年に「作品番号1」として出版されたので、「楽譜」がしっかりとした形で残っています。
何しろ、パガニーニという「演奏家」は自分の作品が誰かに盗まれることに対する警戒心が異常に強くて、協奏曲を演奏するためのオケのための楽譜でさえ演奏会の直前にしか渡さず、演奏会が終わればすぐに回収したと伝えられています。
ですから、このように「作品番号1」として楽譜が出版されたというのは稀なケースなのです。

(Vn)ルジェーロ・リッチ:1950年録音

正直言って、これはヴァイオリニストにとってはとんでもない難曲であることは間違いないので、これを「全曲録音」するというのは勇気が必要です。とりわけ、パブリック・ドメインとなっている音源で全曲録音となると「ルジェーロ・リッチ」くらいしか名前が浮かびません。
こう書くと、「おいおいハイフェッツがいるだろう!」と声がかかりそうなのですが、驚くことに、ハイフェッツはこの作品の中の2~3曲は録音していますが、全曲の録音はしていないのです。
その理由を聞かれたときに彼は「私には難しすぎる」と答えたそうです。

深い言葉ではあるのですが、それは同時にこの作品がもっている「特殊性」を再認識させてくれます。
一言で言えば、この作品を演奏するためには特殊な運動能力が求められると言うことです。それは、テクニックが優れているかどうかというレベルの話ではなく、この作品に対応するための「異能」とも言うべき運動能力が必要だと言うことです。

ここでのリッチは驚くほどに軽々とこの難曲を引きこなしていて、「苦労」という言葉は何処を探しても見つかりません。
この1950年の録音は、パガニーニ以来、はじめて完璧に演奏され、そして完璧に録音されたものでしょう。

ただ、余談ながら、このリッチの立ち位置は五島みどりという一人の少女によって数十年後に凌駕されることになります。
この作品を演奏する時は常に二つの選択が迫られるように見えます。

一つ、この作品が内包している内面的な凄味をだすことを優先してテクニック的にはいささかモタモタした感じがともなっても仕方がないとするスタンスです。全曲録音はしなくても、24曲の中から有名なところを抜粋して演奏する人たちの中に多いアプローチです。

もうひとつは、いや、そうではなくて、あくまでも超絶技巧の披露を優先すべきであって、濃厚な表情付けは無用であるというスタンスです。全曲録音しようとするする人達はほぼ例外なくこのアプローチでした。

リッチの演奏も同様のスタンスの上に成り立っていて、いささか荒っぽさを感じる部分はあるものの、聞いているときの爽快感と言う点では最近の凄腕ヴァイオリニストをも上回っているように聞こえます。とにかく一つ一つのフレーズのメリハリ感というのは大変なもので、ほとんどのヴァイオリニストからかぎ取ることが出来る「モタモタ感」のようなものが皆無と言っていいほどの快演です。

ところが、五島みどりが未だ10代だった1988年に録音した全曲録音はこの二つの要素を見事なでに両立させた奇蹟のような演奏だったのです。

モタモタしたんかじは全くなくテクニック的には十全すぎるほどなのですが、聞き進むうちにパガニーニがこの作品に込めた内面的な凄味みたいなものがにじみ出てくるのです。こんな言い方をすると本人はきっと気を悪くするでしょうが、思春期の渦巻く情念のなかに身を置く10代の少女だからこそなしえた奇跡の演奏だといえるのかもしれません。
きっと、今の彼女には絶対に再現不可能な演奏だと思います。

とうの昔におっ死んだはずの爺さま、婆さまを越えることが出来ずに悪戦苦闘しているのがクラシック音楽という世界なのですが、時には10代の少女がそう言う爺さま、婆さまを意識もしないで追い抜いていくこともあるのです。

カプリース全曲 五嶋みどり 1988年12月録音

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