(6) モーツァルト:ピアノソナタ第16番(15番) ハ長調 K.545

実は、バッハのゴルドベルグ変奏曲でピアノの項は終わるつもりでいました。しかし、こうして(1)から(5)までを概観してみると、モーツァルトの欠落はやはり許されないようです。
そこで、ピアノの項にはもう1曲追加してモーツァルトを取り上げることにします。

モーツァルトは鍵盤楽器の主役がチェンバロからピアノに切り替わる時代に音楽を書きました。そして、残されたモーツァルトの書簡には、この新しい楽器への賞賛の声が数多く残されています。その中で最も有名なものが、パリ旅行の途中において、アウグスブルクから1777年10月17日から18日にかけて書かれた父宛の手紙です。
彼はこの地でシュタインのピアノを何台か弾いたのです。

「シュベートのクラヴィーアがぼくの一番のお気に入りでした。でも今はシュタインのが優れているのを認めなくてはなりません。・・・強く叩けば、たとえ指を残しておこうと上げようと、僕が鳴らした瞬間にその音は消えます。思いのままに鍵に触れても、音は常に一様です。カタカタ鳴ったり、強くなったり弱くなったりすることことなく、まったく音が出ないなどと言うこともありません。」
「自作の6曲のソナタ・・・は、シュタインのピアノで比較にならないほど良く響きました。膝で押す装置(後のペダルに当たる装置)もほかのよりもよく出来ています。ただ触れさえすればすぐに効きますし、膝を少しのければたちまちどんな残響も聞こえなくなります。」

そして、モーツァルトはそれとなくこのシュベートのピアノを父にねだるのですが、レオポルドは「それにしても本当に高価だ」と返信しています。
結局、モーツァルトが入手できたピアノはアントン・ヴァルターによって制作されたもので、モーツァルトのために特別にペダルは取り付けられていたものの、音域はわずか5オクターブしかなかったのです。

私たちが忘れていけないのは、モーツァルトはロマン派の作曲家たちから見ても「玩具」としか見えないようなピアノによって、そして、そう言うピアノのために音楽を書いたと言うことです。
19世紀になってピアノは急速に巨大化と強靱化の道を突き進み、そして聴衆の多くはその様なピアノをフルに活用した名人芸に拍手喝采をおくりました。そんな時代のなかで、わずか5オクターブの音域に閉じこめられたモーツァルトのピアノ音楽に物足りなさを覚えたのは仕方がないことでした。
結果として、モーツァルトの音楽は華奢で可愛らしい子供向きの音楽だと思われるようになっていったのです。

言うまでもないことですが、音楽が分かっている人はそんな「可愛らしさ」のなかに、音楽史上他に例を見ないほどの天才性が潜んでいることを十分に認識していました。
例えば、ショパンが認めたのはバッハとモーツァルトだけで、その他の音楽家にはきわめて冷淡であった事はよく知られています。
また、ロマン派の音楽家のなかで最も自己批判力が強かったブラームスは、本当によい音楽というのはモーツァルトのような音楽のことだ・・・みたいなことを述べていて、それに続けて、幸いなことに多くの人はその事を知らないので私たちのような音楽家も生きていくことが出来ている・・・みたいなことを述べていました。(記憶が曖昧^^;)

そんなモーツァルトの真価が多くの人に再認識されるきっかけを作ったのはアインシュタインによる大著「モーツァルト―その人間と作品」でした。この書は今となっては資料的な古さは否めないのですが、それでも、モーツァルトへの限りないオマージュという点では今もなお「バイブル」の地位にあります。
モーツァルト―その人間と作品
アルフレート・アインシュタイン (著), 浅井 真男 (翻訳)

そして、東洋の島国におけるモーツァルト再認識のきっかけとなったのが小林秀雄の「モーツァルト」でした。
一昔前は小林秀雄と言えば大学入試の定番だったので、好むと好まざるとに関わらずその文章に触れる機会は多かったので、その影響力は小さくはありませんでした。

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

しかし、本当に多くの人が実感をもってモーツァルトを再認識したのは1956年の「生誕200年」がきっかけでした。何故ならば、多くのレーベルがこの200周年を見すえて本格的にモーツァルトの作品を録音してくれたからです。
ピアノ音楽に限ってみても、この200周年を見すえてギーゼキング、リリー・クラウス、ペルルミュテールによるソナタの全曲録音が行われました。
ごく普通の聴衆はこの時はじめてモーツァルトのピアノ音楽の全貌を知ることになったのです。

そして、例えば、200年にもわたってピアノの前に縛り付けられた子供たちが嫌々演奏してきたであろうK.545のハ長調ソナタ(ピアノソナタ第16番[旧全集では15番])であっても、その中に最上の音楽が詰め込まれていることにはじめて気づいたのです。
極限にまでそぎ落とされながらもその音楽はふくよかさを失ないません。
光が飛び跳ねるような第1楽章から深い情感の込められた第2楽章、そして後期ロマン派のピアノ音楽を予想させるような第3楽章に至るまで、いっさいの無駄をそぎ落として組み上げられたその音楽は一つの奇跡とも言えるものでした。

そして、その事は同時に、現在の巨大なコンサートグランドでガンガン弾き倒せばその様な奇蹟はあっという間に消え去ってしまうことも教えてくれました。
つまりは、19世紀のロマン派的なフィルターがかかった視点でモーツァルトの作品を見てしまえばその魅力の大部分は見落とされしまい、さらには、19世紀的な名人芸ひけらかしの演奏でモーツァルトの音楽を再現すれば、全ての奇蹟は跡形もなく消え去ってしまうのです。

モーツァルトはたくさんの手紙を残していて、その中にはピアノ演奏に関わる内容もたくさん含まれています。
その手紙の内容によれば、モーツァルトの時代におけるピアノ奏法のお手本は疑いもなくエマヌエル・バッハだったことが分かります。そして、鍵盤楽器に関わるあらゆる知識とノウハウが詰め込まれたエマヌエル・バッハの「試論」をモーツァルトは熱心に読み実践していました。

そして、モーツァルトのピアノ演奏は、その「試論」に記された古典派の理想に近いものであったのです。

彼はいつも静かにピアノの中央に座り、そして手を持ち上げるようなことは好まずに、指は常に鍵盤の近くにある状態で手首を軽く使って演奏したようです。
また、無用にテンポを変えることも好まず、大げさな身振りや表情を持って演奏することにははっきりと嫌悪感を感じていました。彼は姉への手紙で自作のソナタを演奏するときは「きちんと正確」に演奏するように何度も書いていました。
モーツァルトは、クレメンティ(彼と同時代のピアニスト)のようなヴィルトゥオーゾタイプのピアニストではなかったのです。

その意味では、1953年に集中的に録音されたギーゼキングの全集録音が持っている意味は非常に大きいと言わざるを得ません。

このシンプルな上にもシンプルなモーツァルト演奏こそが、19世紀的なロマン主義によって歪曲され、そして見落とされていたモーツァルトの真価を救い出したのです。ギーゼキングはテンポを揺らしたり派手なダイナミズムで耳を驚かせるというような「ヨロコビ」とは手を切っています。しかし、そう言うことと手を切ることによって得られた透明感に満ちた響きこそが、モーツァルトの奇蹟を蘇らせてくれるのです。

(P)ワルター・ギーゼキング 1953年8月1日~20日録音

<どうでもいい追記>
クラウスの演奏はあまりにもテンポは速すぎます。モーツァルトの時代のアレグロはギーゼキングのテンポが正解です。そのあたりの事情はベートーベンの月光ソナタの項でも少し触れておきました。また、この強いタッチもモーツァルトがイメージしてたピアノの響きとは乖離しているように思えます。もちろん、最終判断は聞き手にゆだねます。

(P)リリー・クラウス 1956年録音

ペルルミュテールの演奏はギーゼキングと較べれば明らかに19世紀的な匂いを引きずっています。その最大の原因は何も書かれていない部分はレガートで演奏しているように聞こえるからでしょう。モーツァルトは自分の演奏を「油のように滑らか」と自慢していましたが、残された記録によるとレガート奏法は彼の好敵手だったクレメンティが生み出したものであり、そう言う演奏の仕方にモーツァルトははっきりと否定的でした。
また、彼にとってピアノ奏法のお手本だったエマニュエル・バッハの「試論」の中では、特に何も指示がない限りは「音符の長さの半分の長さの間押さえる」と書かれているのです。ですから、真珠の玉が転がるような繊細な響きこそがモーツァルトが理想としたピアノの響きだったとすれば、ペルルミュテールの響きは魅力的ではあってもモーツァルトが描いたものとは少し違うのかもしれません。
もちろん、こちらもまた、最終判断は聞き手にゆだねます。

(P)ヴラド・ペルルミュテール 1956年録音

そして、次に注目すべき事は、モーツァルトの手紙に頻繁に登場する「趣味」という言葉です。

今の時代に「趣味がいい」と言えば一般的には「上品さが感じられるさま」という事になるのですが、モーツァルトの時代のピアノ演奏で「趣味がいい」と言えば、もう少し複雑な内容を含んでいました。そして、その複雑さの中でも特に注目すべき事は、当時のピアノ音楽は楽譜に書かれたとおり演奏するのではなく、かと言って和声や旋律を変えることなく「表情と趣味をもって」装飾音を施すことが演奏家としての義務だったと言うことです。つまりは、その施された装飾音がもともとの和声や旋律を変えてしまうのは論外ではあるのですが、そうでなくてもその装飾音が音楽の本質を損ねるものであれば「趣味が悪い」と見なされたのです。

例えば、K.545のハ長調ソナタの第2楽章などはを、疑いもなく、モーツァルトは同じ旋律が繰り返されるたびにそれらに「表情と趣味をもって」装飾音を施したことは間違いないのです。ですから、この音楽を何の疑問もなく楽譜通りに演奏することが出来るピアニストがいるとすれば、それはよほど強い忍耐力を持っているのか、もしくはよほど感性が鈍いのかのどちらかなのです。

しかし、原典が神聖化される今の時代にあって、誰も「王様は裸だ!」とは言わないし、おそらくは心でそうは思っていても「言えない」でいるのです。おそらく大部分のピアノ教師は自分の弟子が同じ旋律を何度も繰り返すのをじっと堪え忍ぶことが己の義務と思い定め、多くのピアニストも強い忍耐力とあらん限りの工夫を行ってその繰り返しが退屈なものにならないように力を尽くすのです。

しかし、その様な労多くして益の少ない努力をするくらいならば、どうしてプロのピアニストはモーツァルトが行ったように、「表情と趣味をもって」装飾音を施した演奏をしないのでしょうか?
特に、モーツァルトの時代に使われたフォルテピアノを復刻し、その歴史的正当性の蘊蓄を垂れたあげくに粛々と楽譜通りに演奏している録音を聞かされると、本当にこの人は何の疑問も苦痛も感じないのだろうかと思わざるを得ません。

そして、その事は古楽器演奏だけに限った話ではなく、現代のピアノを使った演奏でも事情は同じです。
天才モーツァルトの書いた楽譜に演奏家が「恣意的」に音符を追加して演奏するなどと言うのは「神をも恐れぬ所業」と思われているようなのです。しかし、いくら何でも、これだけの歴史的正当性があるのならば、自分なりに装飾音を追加して演奏しているピアニストはいるだろうとあれこれ探したのですが、自分の無知とリサーチ力の欠如のために、なかなか「これは!」という録音を見つけ出すことが出来ませんでした。(これが更新に時間のかかった一番の理由です。)

しかし、ついに見つけ出しました。

(P)フリードリッヒ・グルダ 1965年2月録音

そして、分かってみれば、このグルダの装飾音の追加は結構有名らしいので、やはり私の無知だったようです。しかし、言い訳をさせてもらえば、この装飾音の追加を上で書いたような文脈で評価している人は少なくて、その大部分はグルダの酔狂と受け取っていたようです。

アレグロの第1楽章から細かい装飾音が施されているのですが、圧巻なのはアンダンテの第2楽章です。グルダはモーツァルトが指示したとおりの反復を全て忠実に行っているのですが、その反復のたびにうっとりするような美しい装飾音を施していくのです。そして、その装飾音の追加はモーツァルトの歌う音楽をよりいっそう鮮やかに彩ることはあっても、決してモーツァルトの音楽を傷つけるようなことはないのです。
おそらく、グルダは徹底的に考えた末にこの装飾音の追加を行っているのでしょうが、聞こえてくる音楽は自由な即興的な雰囲気が溢れています。

私はこの録音を聞いて、なるほどモーツァルトこそは、ピアノが未だに青春時代だった時代の音楽だったんだと深く納得することが出来ました。

ただ、残念なのは、この録音の隣接権が消失してパブリックドメインの仲間入りをするのが2016年のお正月だと言うことです。今ここですぐに紹介できないのは本当に残念なのですが仕方がありません。
そして、この録音を聞くこと無しにモーツァルトの音楽は語るなかれとも思いました。何も付け加える言葉がないほどの素晴らしいモーツァルトです。
<追記:ついにパブリック・ドメインになりました(^^v>

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